坂東観音霊場十五番・十六番札所参拝記(2)
白岩観音を後にし、次に目指すは十六番札所・水澤観音です。
白岩観音から水澤観音へ向かう道中の箕郷町(みさとまち)に箕輪城(みのわじょう)城址公園があります。
箕輪城は室町時代末期に関東管領上杉氏の家臣長野氏によって築城されました。戦国時代、信濃より東進してきた武田信玄の侵攻を受けるも(1555-58)城主長野業政(なりまさ)は知勇を以て奮戦しこれを退け、名将として語り継がれています。業政死後、子の業盛(なりもり)は父の遺志を継ぎよく戦うも、再び攻め寄せた武田勢の総攻撃により1566年落城し、長野氏は攻め滅ぼされました。箕輪城は武田氏滅亡後に織田→北条→徳川氏と支配者を変え、1598年に徳川家臣井伊直正が高崎へ城を移し廃城となりましたが、城下町の町並みの名残が今も残ります。写真は城の裏口にあたる搦手(からめて)口。
城跡を示す石碑と由来書き。
箕輪城本丸跡。石碑がある他は茫漠と草むらが広がっています。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」芭蕉。
榛東村(しんとうむら)に入ってどこか昼食を摂るところを探すとこちらのお店「中華大榛」が目に入りました。昼の営業から中休みに入る直前でしたが快く入店させていただきました。「大榛特製ラーメン」はラーメン好きの人は一度お試しあれ。
水澤山の上り坂を走っていくと正面に参道の石段が見えてきます。自動車やバスで参拝に来た場合は正面を右へ迂回して上の駐車場へ。
「伊香保ろの やさかの堰堤に立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば」
【厳秀(いかほ→榛名山)の八坂の堰堤にあざやかな朝虹が立つ。その虹のようにはっきりと二人の仲が知れてしまってもかまわない。それまでも共寝をしたならばどんなによかろう。さあ寝よう、寝ましょう。】
境内の一隅にある、伊香保を詠んだ『万葉集』巻第十四東歌上野国歌の歌碑。万葉集約4500首中ただ一首「虹」を詠んだ歌だそうです。
自動車やバスの参拝者がまず来ることになる大駐車場。
駐車場に隣接する釈迦堂。釈迦三尊像のほか坂東観音札所全三十三番のお砂踏み、円空佛など多くの寺宝が祭られています。
駐車場と観音堂を結ぶ参道を行く参拝者。強い西日を境内の木立が和らげてくれます。
先にご紹介した石段を登り切るとこちら観音堂正面です。駐車場からは観音堂向かって右手側に出ます。
観音堂前は参拝者が供える線香の煙が絶えません。「一隅を照らそう」の掲額が目立ちます。
堂内で『観音経』一巻を読誦させていただきました。
水澤寺の山本和尚さんが親子お揃いでお勤めしていました。一枚参拝記念にパチリ(^_^)。
暑さの中、徒歩で巡礼されている方に境内でお会いしたりするとその姿に感銘を受けます。古来より人を引きつけて止まない坂東観音札所、これからも機会を見て他の札所をお参りし、またお参りだけでなくその土地で関心を持った諸々の出来事も紹介できたらいいなと思います。
(2568.8.25)
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