死刑制度に関する特別委員会答申


 戦争時における戦闘行為や、危急に迫る生命や身体を犯す行為への正当防衛など、ある人が他者の命を奪う行為を法的に許す場合がいくつか考えられます。そして死刑制度もその一つです。
 仏教徒は勿論、世界宗教としての普遍性を持つ宗教は根本戒律として第一に「不殺生」を掲げているとして差し支えないでしょう。そのような戒律を抱きながら、世間において死刑制度があるということにどう向かい合うべきか、すべての仏教徒にとってまことに重い課題です。公に示された宗の見解をここに引用し、広く皆さんの思慮の一助とするものです。
(以下本文は『広報天台宗』第12号に依る。時制や肩書きは当時のまま。表示の都合上数字記号や振仮名等一部変えてあります)


委員会の設置から答申に至るまでの経緯

 去る平成六年三月、第八十一回通常宗議会で、
 「国会では、与野党を問わず、死刑廃止を推進する議員連盟が設立、その趣意書が提出されたと聞く。今や世界は死刑廃止の流れの中にあると言われ、既に数十カ国が法律上又は事実上死刑を廃止している。先進の民主主義国では、日本と米国の三十六州が死刑を存置している。
 国連では、二年前に『死刑廃止条約』は発効しており、日本においても、国際社会の一員としてこれを批准することが求められている。人権擁護の立場からこの問題に真剣に取り組まなければならない。一方、凶悪犯に対しての死刑を反対すれば、被害者やその家族の立場を考えると心痛むものがある。
 しかし、宗教者(仏教者)として、この問題を看過することはできません。宗団の見解を求めたい」
との質問があり翌平成七年三月、第八十四回通常宗議会で、宗務総長より
 「死刑制度という現代社会の重要な問題であり、死刑制度に関する特別委員会を構成して、一宗の見解まとめたい」
として、平成七年三月の通常宗議会に提案され賛同を得た。
 委員会を構成する五名の委員は、プロフィールに見られる方々に委嘱することが出来た。
 委員長は、委員の互選により雲井昭善委員が選任され審議が進められた。検討された項目は次のとおりであり、宗教者としての態度、見識が各方面で望まれている。

仏教者と死刑制度

 平成九年三月三十一日に第一回の特別委員会が招集され討議を始めた。委嘱された委員は次のとおり。
  委 員 長  雲井 昭善  天台宗勧学
  副委員長  輪田 皓峻  人権擁護委員
  委  員  木村 周照  教誨師
  委  員  中山 清田  教誨師
  委  員  坂本 哲耶  弁護士
  第二回  平成九年五月十六日
  第三回  平成九年七月九日(日本アムネスティの話)
  第四回  平成九年十一月十二日
  第五回  平成十年十二月一日
  第六回  平成十一年二月十九日
  第七回  平成十一年三月三十一日

 第一回から第七回までをとおして
  ・死刑廃止論について
  ・死刑は野蛮な、残虐な刑であることについて
  ・裁判で死刑判決の誤判について
  ・実務者(死刑執行官)の苦悩について
  ・死刑囚にも生きる権利があるについて
  ・死刑は犯罪の抑止力にならないことについて
  ・死刑と教誨について
  ・日本アムネスティの話しについて
に関して討議され、数回の委員会を経て以下のごとく答申がなされた。
(事務局 教学部)


答 申 書(要旨)

 第八十四回通常宗議会において議会からの要望もあり、宗務総長の諮問機関として「死刑制度に関する特別委員会」が設置(平成九年三月三十一日)された。
 当委員会では、先に四回(前内局平成九年三月三十一日、五月十六日、七月九日、十一月十二日)にわたる討議を重ね、死刑制度の存続論と廃止論をめぐってそれぞれの主張、論據を分析し、先般、中間報告(平成九年十一月十二日)を提出した。続いて、この問題に対する委員会の動向を、「死刑問題と天台宗」のタイトルで公表(「広報天台宗」第八号頁十四〜頁十六、平成十年一月十日)した。その際、死刑制度の存廃をめぐる論據の何れにも傾聴に値するものがある、としながらも、当委員会としては、
  死刑の制度は宗教者の立場として認めるわけにはいかないが、そのためには、前提として以下の事項が克服されることを要する。
という合意を確認した。すなわち
(一)死刑は廃止すべきである。しかし、抑止力の有・無ではなく、死刑の在り方として、応報刑的考え方はとりたくない。
(二)教育刑としての限界もあり、死刑に代わる刑罰として仮釈放のない無期懲役刑の採用が必要である。
(三)被害者救済の手段を法的に整備し、被害者感情を和らげることが大切である。
(四)義務(公)教育を改革し、宗教的情操の指導を強化し、連帯強調の心を養い、非行への誘惑に対する抵抗力を強化することに努める。
(五)非行への抵抗力、利他心、愛他心は、幼年期までの健全な家庭生活の中で培われるという。したがって、家庭の再構築、家族の協力性の強化によって、犯罪の減少を図るよう努める。
 等である。要約すれば@社会環境の整備とA法制度の改革の要望である。
 そもそも、死刑制度の歴史は古く、処刑の種類・方法も多様で、近代に至るまで諸々の犯罪に対して広く行われてきた。以来、我が国にあっては、死刑を定める犯罪とそれに対する刑法が定められて今日に至っている。
 一方、死刑制度の存廃をめぐっては、「死刑制度存廃国リスト」(アムネスティ・インターナショナル1996・10)によれば、「死刑を廃止している国」九十九カ国、「死刑を存続している国」九十五カ国とほぼ相半ばしており、犯罪状況を考慮した各国の国内事情によるものであることが知られる。
 ちなみに、我が国における死刑制度を巡る世論として、存続すべきが七十三パーセント(読売新聞、平成十年十二月二十七日付、「裁判」)となっている。
 当委員会は、これらの事情と中間報告に示した確認事項を踏まえて、更に二回(現内局平成十年十二月一日、十一年二月十九日)検討を重ねた結果、特に強調したい以下の三点を再確認した。
(一)仏教は、生きとし生けるものを殺してはならない不殺生を説く。あらゆる生き物の生命(いのち)を尊重する観点からすれば、人が人を殺生する死刑制度は廃止すべきであろう。現在、世界人権宣言(1948・12)の立場から、加害者の人権を尊ぶ主張がアムネスティ・インターナショナルでなされ、死刑廃止の根拠とする向きがある。しかし、<生命を尊ぶ>という立場からすれば、被害者の人権が守られなかった中で加害者の人権を主張するには、納得し難い面が残るし、加害者によって失われた被害者の人権はどうなるのか、という設問が用意されよう。
 むしろ、ここでわれわれが主張したい点は、人間の為した行為は、その人ひとりがその果報を受けるという自業自得、因果応報の不共業(ふぐうごう。他人と共通しないその人個人のなしわざ)にとどまらなくて、広く他者、社会一般と共通する共業(ぐうごう)として、社会性をもつことを十分に認識すべき点である。
(二)したがって、加害者(犯罪者)は、自(み)ずからが犯した罪の重みを十分に自覚し、加害者や被害者の家族はもとより社会に対して、自ずからの為した罪を深く懴悔し、悔過の心を持ち、生きて生きて生き抜いて罪を償い、以て人間としてのめざめ、本性に立ち帰るべきである。事実、教誨師の良き導きによって、服役中に人間としてのめざめを体得した犯罪者のケースも多いと聞く。その反面、出所後も犯罪を重ねるケースも少なくないという。
(三)自然と共存、共生していかねばならない。今、社会倫理と共生の倫理が改めて問われる現代である。そうした中で、<生命の尊厳>と<悉有仏性>そして他者への<寛容と慈悲>を主張する仏教の教えに生きる仏教者として、死刑制度の廃止を望むのが当然である。しかし、その一方で、犯罪の抑止力として、何らかの制度(仮釈放のない無期懲役刑の如き)があって然るべきかと考える。人を殺すことは、如何なる場合にあっても許されないことは当然であると同時に、犯罪者にとって犯した罪を償うことは、良心ある人間の基本的行為である。
 われわれにとっては、死刑制度の是非を問う前に、むしろ人間としての“みち”、社会構成員の一人としての社会倫理をふみはずさない社会、環境の土壌づくりに未来際をかけて、更に努力することこそ使命ではなかろうか、と思う。
 以上、当委員会の見解を述べて答申としたい。

 平成十一年三月三十一日


  「死刑制度に関する特別委員会」
     委 員 長  雲井 昭善   勧    学
     副委員長  輪田 皓峻   人権擁護委員
     委  員  木村 周照   教  誨  師
     委  員  中山 清田   教  誨  師
     委  員  坂本 哲耶   弁  護  士
     幹  事  即真 尊ノウ  教学部長(「ノウ」は表示できず)



(2567.1.14)


   ・関連結縁

   アムネスティ・インターナショナル日本

    アムネスティは世界人権宣言が守られる社会の実現をめざし、世界中の人権侵害をなくすため、国境を越えて声を上げ続けている国際的な市民運動です(紹介文より)。




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