ガラメキ温泉について

 ある日温泉好きの友人N氏が「ネットで見たけれど、群馬にガラメキ温泉という温泉があるそうだ。」と言ってきました。「ガラメキ?」初めて聞く名です。榛名山周辺のものすごく辺鄙なところにあるそうで、名前だけでなく場所もすごいらしい(笑)。これは地元県民として一度確認しておかなければならないと一念発起し、わたしとN氏とN氏の友人M氏の3名で7月下旬ガラメキ温泉の探訪に出かけました。以下はその温泉の予備知識および報告です。



  ●場所●

 まずは地形図でガラメキ温泉の場所を確認しておきましょう。場所は榛名山麓で陸上自衛隊相馬ヶ原演習場の北、行政区分では榛東村に当たります。
(地図著作権所有=国土地理院)



ガラメキ温泉周辺図

 地図の上が北になります。
 左上に榛名富士と榛名湖が見えます。東(右側)に伊香保温泉、更に東には板東観音霊場で有名な水沢寺のある水沢山です。右下は陸上自衛隊相馬ヶ原演習場、地図の下箕郷(みさと)町から榛名湖へ向かって延びる道は地方県道28号線です。榛名湖へ向かう途中で道が狭くなり対向車とのすれ違いが困難になります。そして地図の中央付近に傍線が引いてあるところがガラメキ温泉です。周辺を更に拡大してみます。



ガラメキ温泉周辺拡大図

 地形図右手傍線がガラメキ温泉です。
 榛名山系南面に鷹ノ巣山という標高千メートル弱の小山があります。地形図左下に上下に延びる県道28号線から分かれて狭く険しい林道を進み(車での進入は不可能)、鷹ノ巣山を回り込んで更に奥へ分け入ったところにガラメキ温泉があります。休まず寄り道せずに歩くと片道40分ほどの道のりです。





  ●歴史●


 地元群馬県民でも知る人は稀なガラメキ温泉。一体どのような温泉なのか、いくつかの文献を調べたところその歴史の概要が分かりました。以下引用文中の一部漢字は表示機能の制限上新字体や仮名に直してあります。



  その1
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   ・『大日本名蹟図誌 上野国之部』50頁(名古屋光彰舘 2467〈西1902・明治35〉年発行)の記述
   (引用は『大日本宝鑑 上野名蹟図誌』二巻。原文縦書き。あかぎ出版 2549〈西1984・昭和59〉年復刻版より)


   ●ガラメキ温泉 箕輪村大字西明屋にあり鹽類泉にして僂麻質斯、疝氣、皮膚、諸症に適す。


 簡潔な紹介です。僂麻質斯は不明、疝氣(せんき)は下腹部や腰などの筋肉がひきつって痛む病気です。
 余談ですが、発行所の名古屋光彰舘の所在地が「名古屋市前津小林字下キロメキ」とあり、こちらもかなり珍しい地名です。



  その2
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   ・『群馬縣群馬郡誌』(原文縦書き。群馬郡教育会 2490〈西1925・大正14〉年発行)の記述
   (引用は千秋社 2560〈西1995・平成7〉年復刻版より)


   四、「ガラメキ」鑛泉(相馬村)
 相馬山の東南麓に在り。傳へ云ふ人皇十四代仲哀天皇の御宇發見し、浴客常に絶えざりしが、年月を經て泉量減じ一旦衰微せしを、寛永年間復興して爾來今日に至り、遠近の浴客絶えざるに至れりと。泉質は鹽類泉にして、先年分析の結果、慢性僂麻質私・疝痛・~經痛其の他慢性皮膚諸病に効驗あること明らかなりしを以て、一層の入浴者を揄チしu々盛運に趣けり。本泉は高崎停車場より約二里餘、海抜六二〇米の地にあり。西北は峻峰連亙し、東南は平坦なり、氣候は四時寒暖其の度に適し、殊に山水の風景に富む。曾て有栖川宮・北白川宮兩殿下の御來浴ありしが爾來名聲大に揚れり。


 かなり詳しい記述が見られます。温泉開削の伝承は勿論そのまま受け取れませんが、1800年余り前にその由来を仮託するほど古くから知られた温泉なのでしょう。現行地形図では標高900メートル付近にあり、測量の違いが分かります。皇族の来浴があったほど嘗ては栄えていたようで、現在の有り様からは想像できません。



  その3
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   ・『群馬の温泉医学』(原文縦書き。屋代周二編 群馬県医師会 発行年未確認)の記述

   我 楽 目 嬉 鉱 泉
所在 伊香保の南方六キロメートル余、相馬ガ嶽の東南麓にある。前は一望限りない関東平野を控え、遠く富士山を見晴らしすこぶる幽寂の地。村人は「がら」とのみ呼ぶ。
泉質 無色透明の硫黄泉で泉温三〇度C。
効能 火傷、皮膚病、梅毒、疝気、寸白に効があるという。
施設 保健向、伊香保から一日の清遊に好適、鯉、カワイワシ、ヤモメ等を池に放養して客の求めに応じ料理して呉れる。だが大東亜戦争で廃業した。


 「我楽目嬉」という漢字表記が出てきましたが、現在のところこの本以外には見受けません。村人の呼び方や宿泊施設について触れているところから、地元の情報を知る人が書いたものとみられます。地元では漢字表記も行われているのでしょうか。
 梅毒は性病の一種、寸白(すばく)は婦人病の総称です。
 またここでは泉質を硫黄泉としていますが、実際に見たところでは硫黄らしい臭いは特に感じられませんでした。



  まとめ
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 上記の内容を併せて考えると、第二次大戦前までは皇族が訪れるなどかなり有名で盛っていた温泉のようですが、旅館の廃業などで戦後急速に廃れてしまったようです。まこと諸行は無常なり、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」であります。
 また新たな事が分かりましたらこちらに紹介します。





 では、次の頁からいよいよガラメキ温泉探訪記です。


   ガラメキ温泉探訪記(1)「出発の章」へつづく


(2567.8.31)



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