「未だ理を照らすの心を得ざるより以還才藝あらじ」と『願文』に示される傳教大師のお志に照らしてまことに不孝者ではありますが、日常の趣味や関心事について徒然に語ります(不定期更新)。
故手塚治虫のことは改めて言うまでもないだろう。その手塚治虫に『ブッダ』(潮出版社)という作品がある。お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)の生涯を作者の視点から漫画として表現したものである。
お釈迦様の伝記「佛伝」を題材としたこの作品を、当時近隣の寺院のご住職に書道を習っていたわたしは塾に通うたびに本棚に並んでいたこの作品を楽しみに読んでいた。そして現在、史実のお釈迦様の伝記「佛伝」や研究書を読むと改めて『ブッダ』の凄さを思う。
そもそも、佛教の開祖であるお釈迦様の伝記を漫画化しようという着想が並ではない。お釈迦様に限らず、各宗派の祖師方や他宗教の開祖など、世間で偉大かつ聖人視される人物を「漫画」という媒体で表現しようとするのは、書き手に対象への確固たる視点、それに基づき読者を納得せしめる構想・表現力そして情熱が無ければ成し得るものでは無い。こういう書き方は陳腐だが、手塚治虫なればこそのわざであろう。
また作品中のお釈迦様は喜怒哀楽の豊かな、実に魅力ある人物として描かれる。怒り、悩み、苦しみ、悲しみ、笑い、喜ぶ。真面目に佛道に精進している方やお釈迦様への帰依の篤い方が読めば眉を顰めそうな描写だが、いわゆる佛教的内容を扱った漫画が概して漫画として面白くないのは、説法における方便同様、娯楽媒体として楽しみつつその本質を伝えることへの理解や気配りがまだ不足している故であろう。その点『ブッダ』はまず漫画として面白いので読者を飽きさせず、かつお釈迦様が説かれた説法の本質から逸脱することなく話が展開するので素晴らしい。
去る2月15日はお釈迦様の命日(涅槃会)であり、4月8日はお釈迦様の誕生日(降誕会・花まつり)である。小さいお子さんの入園・入学祝に『ブッダ』を是非とも読ませてあげてください。もちろん大きなお子さんや大人にもお薦めです。
「手塚治虫『ブッダ』の世界」へ
敷地開設に至る裏話です。これから敷地を開設しようとする方の参考に…なるかどうか。
一通り記事が出来て後は掲示板と計数機を取り付けて完成と思いきや、これが難渋しました。以下お名前の挙がった方々の敷地は結縁をご参照ください。
これらを取り付けるための手段としてCGIというものを使う方法があります。CGIとはCommon Gateway Interfaceの略です(よく分からん)。KENTさんの敷地に在る掲示板を使わせていただくことに決め、とほほさんの敷地の記事を読み勉強、そしていざ手順に沿って取り付けを行うと…失敗。おまけにFFFTP(こちらの作成した情報がサーバーへ転送するソフト)がサーバーへ接続できなくなる原因不明の生涯が発生。その後4日ほどあれこれ試行錯誤を繰り返す中で、サーバー管理者へ問い合わせ、また天台宗典編纂所の怪Vo\oV先生の敷地に掲示板が在ったのを思い出し問い合わせの電便を送る。あれこれしてみて分かったのは、サーバーへの情報転送は通信の混み状態等でいつも出来るわけではないらしいので、繋がらなくなったら時間をおいて再接続してみると(確実ではないが)繋がることがあることだ。サーバー管理者からの返事にも特に物理的異常は無いとのことなので、接続はこれで一応解決。
怪Vo\oV先生のお返事と取り付け手順の記載を参考に本日ついに掲示板の取り付け完成!ああ良かった。表紙(トップページ)に問題があったのだが、コンピュータは誤りがあっても具体的に指摘してくれないのでこちらが賢くなって見つけてやらねばならない。でもこれで少し自信がついた。
さあ後は別の掲示板と計数機の取り付けだ。完成まではもう少し先だけどがんばるぞ!
買いました。日産のCUBE「アルテ」です。今までは住職や母の車を借りていましたが、貯金が貯まったので公私兼用で使う車を買うことになったのです。他にも細かい理由がありますがここには書けません(^^ゞ。しかしこれによって密かに考えていた「大蔵経購入」が遠のいたので問題なしとはいきませんが(祖師不孝者+_+)。
さて、便利な自動車ですが、車社会のなかで年間約9千人の方が亡くなられている(警察庁統計・2564年)ことを意識しなければなりません。皆さんの中で、家族や親戚・友人知人に交通事故加害者または被害者がいない方は恐らく稀だと思います。自身が事故の当事者になった方も少なくないでしょう。実は免許取得前はわたしは自分が自動車の運転をすることに否定的でした。決して無視できるほど低くない確率で起りうる事故の重大さを思うと自身の運転姿を想像したくなかったのです。その後思想転向してしまった訳ですが、免許取得時に「ああこれでわたしも加害者にもなるのだなあ」と思いました。
他人を大きな不幸に導く可能性を秘めながら、今日も車を走らせる。そんな矛盾を抱えつつ、出かける前に境内の観世音菩薩と地蔵菩薩に交通安全を祈るわたしの姿がそこにある。
わたしの聞くところによると、将棋は古代インドがその発祥地になるという。その由来も諸説あるようだが、わたしは「戦争好きの王の行いを改めさせるために僧が考案したもの」という説が個人的に気に入っている。真偽はともかく、実際の争いを止めさせるのに非暴力・不殺生の精神を以て僧が替わりの対人遊戯を与えたのはさもあらん、と納得できるからだ。
その後、将棋は本邦に伝えられた。残念ながら日本天台宗史において慈覚大師や元三大師・慈眼大師等が将棋を嗜んだという記録は残っていないようだ。もっとも修行や布教に勤しんでいた方にそんな閑は無いのであるが(^^)。
※註・後に読んだ木村義徳著『持駒使用の謎』(7.日本将棋の由来を参照)等を読み、将棋史についての少なからぬ無知・誤認に気がつきました。そのままにもしておけないので史実に関する部分は大幅に削除しました
表題は、西暦アメリカ合州国で2558(1993)年に登場した Treading Card Game(トレーディング・カード・ゲーム、以下TCG)を指します。トレーディング・カード・ゲームとは、綺麗な絵の画かれたカードを切手蒐集などの趣味同様に集めつつ、その集めたカードで対人勝負もできる新しい知的遊戯です。
何かを集めて楽しむ趣味は、様々なものを対象とすることが出来ます。集めた後は主に個人で鑑賞したり、他の人に見せたりして楽しみますが、TCGは同じもの(この場合はカード)を集めている同好の人と、各自が集めたカードを組み合わせて対人勝負が出来るような仕組みを付加した点で大きな進化を遂げました。日本では以前はメンコやプロ野球選手カードなどを多くの子供が集め、現在では『遊戯王』や『ポケモンカードゲーム』がTCGとして有名ですが、元祖はこのマジック・ザ・ギャザリングです。
ゲームの設定に於いてプレイヤーは魔法使いになり、カードの一枚一枚を魔法呪文に見立てて魔法の生き物を呼び出し相手を攻撃したり、不思議な力を用いて相手の動きを妨害したりします。こうしてお互いがどのカードを使うかによって戦いは様々に変化します。思い切り大雑把に言えばカードの役割は将棋の駒に近い感じでしょうか。
カードの種類は数千にも及ぶため無限にも近い変化が生じます。多くのカードを少しずつ入手しそれを駆使するこの様なゲームは欧米では大人の趣味なのですが、日本では販売代理店の戦略もあり低年齢層に広がってゆきました。
巷で有名な『遊戯王』や『ポケモンカードゲーム』は販売戦略を低年齢層に絞り、尚且つ商売に関わる大人たちの思惑が絡み、カード購入についての金銭問題解決が課題となっています。わたし自身以前コンビニエンスストア店頭で、ランドセルを背負った子どもが友達を連れておもむろに1万円札を出し、『遊戯王』カードを買い占めている姿を見てたまげたことがあります。お金を使わないと「遊べない」子どもたちの在り方は問題ですが、その子どもたち(とその親)を流行で煽る大人たちについても考える必要があると思えます。
「天使と悪魔が徹夜する!」そんな楽しい標語も付けられている、世界中で楽しまれている盤上遊戯が「モノポリー」です。モノポリーがどんなものか、極々一口で言うとこのゲームの目的は、『巧みな交渉と機転の効いた判断と少々の運を駆使して、資産を増やし、他のプレーヤーをすべて破産に追い込むこと、また、自分が他のプレーヤーより先に破産しないよう努めること』(日本モノポリー協会の説明)です。その由来・歴史についてはこちらをご覧下さい。
わたしがモノポリーと出会ったのは学生時代、所属していた将棋部の師範の先生が紹介してくださったのがきっかけでした。大変おもしろく部員が集まるとモノポリーが開かれ、将棋がおろそかになる程でした。
その後久しく疎遠になっていましたが、嘗ての師範の先生のご縁で再びプレイするようになりました。モノポリーの縁で親しくなった方も次第に増え、第11回世界チャンピオンの方とも2回ご教授いただく機会を得ることができました。大変劇的な展開もあり大いに楽しみ且つ勉強になりましたが、わたしは賽の目の不思議なはからいを感じ「ボードウォークにほとけがいらっしゃった」とつぶやいたものです(このへん分かる方は苦笑してやってください(^^))。
みなさんも是非一度楽しんでみてください。
日本将棋の成立の由来を研究している将棋プロ九段の木村義徳氏が『持駒使用の謎〈日本将棋の起源〉』(日本将棋連盟刊)を著しました。一種の謎解きともいえる日本将棋の成立過程について木村氏が大変興味深い立論を為しています。詳しくは著書をお読みいただきたいのですが、ここでは特に感銘したところを述べます。
将棋の起源は研究者間では古代インドということでほぼ統一されているようです。チャトランガ(サンスクリットで「4つの部隊」という意味らしい)というサイコロ使用4人制ゲームが大本だったようです。その写真を見るとマス目で区切られた盤上に駒が並べられている様子は元祖将棋といえるでしょう。その後サイコロ使用2人制とサイコロ無し2人制もつくられ、このサイコロ無し2人制が将棋の基礎になったようです。サイコロの目に左右されることは運の要素が強くなり、実力勝負の競技よりも駒取りゲームというところです。そして取った駒の種類によってカネのやりとりがあったようです。
「将棋は元来トバクであった」という視点は画期的だと思います。将棋史研究の増川宏一氏が初めて強く指摘されたようですが、木村氏もこの点を「コロンブスの卵」と評価し、「将棋はトバクであったがゆえに広範囲に流行し、技術も進み、それにつれて改良もされ、現在にいたっているのである」と将棋の世界的流布・発展の理由を明快に理由付けています。
日本への伝来とその発展について特にわたしが注目したのは
・伝来の道のり
・駒の形の変化
・持駒制の導入
です。
まず伝来の道のりは中国説が主流を占めていますが、実は伝来に関する記録は無く、遣唐使が持ち込んだと従来いわれている説も推測に過ぎないようです。木村氏は古代の交流史からも、中国より「西紀600年を中心に前後100年」くらいにチャトランガより続くチェス様の駒型のものが伝来したのであろうと推定します。これは従来の諸説よりかなり伝来を早く見る説ですが、木村氏は日本独自の将棋の発展を考えると、このくらいの期間は必要と説明しています。
また木村氏は日本将棋に、駒の裏に文字を書いて使用する「成り駒」があることに着目し、外国でこの駒を裏返して使用する用法がタイ将棋のみ用いられていることから、中国からの伝来よりそう遅くない時期に南海経路より中国とは別のルールの将棋が伝わったと見ていて、卓見だと思います。
現行の扁平五角形の駒型が「成り駒」や「持駒」の使用を促進したという木村氏の指摘の重要性は強調すべき点です。裏返しにすることで容易に駒の強化が表せ、しかも五角形の頂点を相手に向けることで互いの支配する駒を表現できるので、西洋チェスなどの様に駒の色分けが必要ない。色分けが無いので相手の駒を取って再使用することも可能になるのです。駒型の扁平五角形化の要因として木村氏は当時の日本の木簡の使用を挙げています。
ただ、先に扁平五角形化により持駒使用が可能になることは指摘しましたが、それを考え付き実行に移すまではやはり相当な試行錯誤の期間が必要とされたでしょう。この様な画期的改良は天才の出現にその切っ掛けを託すことがままありますが、木村氏は実証的な見地からその様な見方を排しています。後述の興福寺駒の年代との関連からも、早い伝来によるある程度の改良期間が必要とされる所以です。
2558(西紀1993)年に奈良・興福寺境内地の考古学調査により多数の将棋駒が発掘されました。駒と同時に出土した銘により1623(西紀1058)年製のものであることが明らかで、それまで文献でのみ確認されていた平安時代の将棋の存在がハッキリしたのです。この興福寺駒は現行将棋と同じ扁平五角形型で成り駒の裏書もあり、銀・桂・歩で裏書の書体(いずれも「金」=現行と同じ)が書き分けられている点は特に重要で、木村氏がこの時点ですでに持駒使用ルールが出来ていたと力説する点です。なぜなら、成り駒のみで駒を取り捨てるルールであれば、同じ「金」の裏書を書き分ける必要はないからです。駒を取って再使用が可能なルールだからこそ、駒を取る時に、成り駒が元々「何の駒か」が成りの状態で見分けられる書体の書き分けが必要とされるのです。このくだりを読んだ時はその着想に甚だ感嘆しました。
以上、わたしが特に感銘した点を簡単にご説明しましたが、興味をもたれた方は是非著書を読んでみてください。前述の増川氏との論争は読み応えがあります。
久しぶりに知的好奇心を刺激した好著でした(^^)。
近頃の映画館は従来の小劇場という趣きから離れて、150位の座席と銀幕を備えた部屋をいくつも集めた巨大な総合劇場として生まれ変わっています。群馬では伊勢崎のオートレースな場にそれが建てられ、最近は高崎駅東口そばという好立地で開業したそうです。映画そのものの振興という点では、快適な設備の整った映画館でいくつもの作品を比較し選ぶことが出来る新たな試みといえますが、このような郊外の大型店舗への地域の人の流れの変化に伴い、従来から地元で映画を上映してきた老舗には厳しいものがあります。少し前に前橋駅前通りの「文映」はその営業を止め、また高崎鞘町の「さやもーるシネマ」も休館になりました。従来から「映画」の地域文化を支えてきた老舗映画館への支援を思いつつも、つい利便のある郊外の大型店舗へ足を運んでしまいいささか忸怩たるものがあります(+_+)。
今回は伊勢崎の「MOVIX(ムービックス)」で見たスピルバーグ監督の新作「A.I」についての感想です(以下このあと「A.I」を前情報無しで見ようと思っている方は読まないで下さい。また粗漏な鑑賞のため間違った内容の把握があると思いますがその点ご承知おき下さい)。
舞台は近未来に地球温暖化で上昇した海水よりにニューヨーク等の沿岸部が水没したアメリカ合州国。主人公はその世界において作り出された、ヒトと変わらぬ外見と感情・愛情を備えたロボットの少年です。子どもを亡くした夫婦に、ロボット製造会社が亡き我が子そっくりのロボット少年を斡旋します。妻は困惑しながらもロボット少年に愛情を感じてゆきますが、奇跡的に我が子が復活した為に夫婦の愛情が離れたロボット少年は再び夫婦に愛されようと試みますがことごとく裏目に出て、ついにロボット少年は森林に置き去りにされてしまいます。
以前に聞いた「ピノキオ」の物語を信じたロボット少年は、人間になれば再び両親の愛情を受けられると考え、ピノキオを人間に変えた「青い妖精」を探しにいきます。女たらしの色男ロボット(笑)と共にロボットを迫害する人々からの危機を切り抜けて辿り着いた場所は周囲が水没したニューヨークのビル街にあるロボット少年を製作した製作者の研究室で、ロボット少年は研究者によって追跡調査をされていたのです。ロボット少年はそこに並ぶ自身の複製品を見て絶望に陥り海に身を投げるのですが・・・。ここまでにしておきましょう(^^)。
作中に「ピノキオ」が重要な要素として出てきますが、わたしは昔読んだ「泣いたあかおに」を思い出しました。心やさしい赤鬼はヒトとうまくつきあっていきたいが、仲間の鬼はそれを許さない。鬼とヒトの間で悩む赤鬼が最後はヒトに生まれ変わるという話だったと記憶しています。「A.I」はあの「2001年宇宙の旅」の故スタンリー・キューブリックが原案を考えたそうですが、「A.I」はキューブリック版(或いはスピルバーグ版)「泣いたあかおに」だとわたしは思います。
作品の結末についてはわたしは不満です。ヒトと同じこころをもつ「ヒトでないもの」が葛藤に苦しむはなしは既に述べたように、従来から見られ特に新しい設定ということはありません。特に昔はある文化圏のヒトから見ると、異文化の人々は「ヒトの姿をしたヒトでないもの」に見えたでしょう。「異人さん」などその最たる表現です。
なぜ鬼はヒトにならないと大団円にならないのでしょう?ヒトはヒト、鬼は鬼、ロボットはロボットではダメなのでしょうか?それでは分かり合えないのでしょうか?最後にロボット少年にあのようなかたちでの「救い」が与えられてめでたしめでたしでよいのでしょうか?監督のスピルバーグ氏には将来の脱国境の時代に相応しい新たなものを提示していただきたかったのですが、わたしにとっては「A.I」には「泣いたあかおに」以上のものは感じられませんでした。
表情が薄い分、より訴えかけるものがあった主人公役の少年の好演は光っていました。あと色男ロボット役の男優がアメリカ映画らしいユーモアを表現していたのは深い主題の作品中において息を抜ける良い演出でした。首を傾けると女性を口説くためのムード音楽が流れるのは、久しぶりに映画でおかしいギャグを見せてもらいました>^_^<。
さすがにコンピュータ処理画像の出来は素晴らしく、観覧料金分の出来栄えはあります。わたしのように穿って見なくとも楽しめる映画ですので、機会があれば見ておいて損のない作品だと思います。
仮に姿形や学習行動、思考や感情の移り変わりに至るまでヒトと遜色ない擬似機械体が存在したら、「何をもってヒトは自身をヒトたらしめるか」はずいぶんと難解になってくるでしょう。ヒューマニズムのような学問思想に踏み込まずとも、例えばどんなに「利口」な動物がいようとそれを人間存在よりも重しとする考えは成立しません。どんな重罪人でも、利口で従順なイヌやイルカなどよりは確実にその存在は優先的に尊重されるのが社会の前提です。近未来においてたとえそれが「A.I」のロボット少年であっても同様でしょう。もちろんこれはわたしたちヒトの社会の価値体系に基づく前提で、地球や宇宙のレベルで考えたらむしろヒトなど有害な存在かもしれません。ヒトは生物の定行進化にも比定される破滅的行動により自らその生存を危うくしつつあります。
生きとし生けるもの、そして山川草木その他全てが調和することが理想です。時代は流れて現代に至っても、釈尊や多くの先徳の教えに学び何が将来の為になるのかを見抜いてそれをすすめる心構えでありたいものです。
この夏公開の邦画・洋画を通じて最大の注目作といえば宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」でしょう。公開されると同時に宮崎監督の前作「もののけ姫」を上回る観客動員の記録を更新し続けているそうです。実写と違うアニメーションという表現法で已に高い評価を得ている宮崎監督の作品、これを見ない手はないでしょう。台風襲来前に行ってきました。
そして見終わっての評価ですが、期待に違わぬ良作でした。宮崎監督の作品を隈無く見ているわけではありませんが、わたしが見た範囲では宮崎作品の中でも主題の表現・演出・効果・美術等の総合完成度は1・2を争う出来だと思います。
主人公は荻野千尋という10歳の少女です。千尋は両親と引越しで田舎の町に引っ越してきましたが、前の学校の友達と別れてしまったため車の中で終始ご機嫌斜めです。車が道に迷って森の中へ進むと不思議な建物があり、好奇心あるお父さんが先頭になりどんどん中を進んでいくとその先には少し古めかしい食べ物屋が並ぶ街がありました。そこは様々な神さまやもののけが集う魔女の支配する街で、千尋の両親は神さまに振舞う食事を食べた罪で豚にされてしまいます。千尋は不思議な少年ハクの力を借りて危機を切り抜けて魔女の経営する温泉宿で働きつつ両親を元に戻す機会を待ちます。千尋は両親を助けて無事元の世界に戻れるのでしょうか・・・。
作品案内で宮崎監督は「この映画で千尋がやったことは、あなたたちにもできると、僕は信じて小さい友人たちに作りました。」と明快にこの作品の主題を述べています。それは見事なくらいによく表現されていました。少年や少女が日常を離れた環境・状況下で努力・友愛・献身といったことを学び、困難を脱して一回り大きく成長して帰ってくる物語は日本にも外国にも名作がいくつもありますが[たとえばわたしの読書の範囲では『路傍の石』(山本有三)や『十五少年漂流記』(ヴェルヌ)などがすぐ思い出されます]、これは當に現代の少年少女(宮崎監督の意図では「少女たち」ですが)のための良質な物語です。とはいえ宮崎監督は「成長物語ではない」と断っていますからこれは少し深読みかも^^;。
はじめは消極的で受身だった千尋が周囲のものたちの力を得て自分のやるべきことを見つけていくと、その表情や動作がまことに生き生きとしてまるで別人のように見えてきます。仮面を付けた「カオナシ」や少年ハクとの間には自らを投げ打って相手を助けてあげたいという気持ちを強く持つまことに美しいすがたをわたしたちに見せてくれます。
もちろん堅苦しい教育映画ではありません。ギャグやユーモアな場面が折々に演出され、また異世界で孤独に打ちひしがれる千尋が涙をこぼす場面はわたしもこみ上げるものがありました。展開を単調にせず、かつそれぞれの演出が不自然でないところはベテランの円熟の芸を感じます。
わたしが改めて宮崎監督の「すごさ」を感じたのはそのキャラクター作りです。そのうまさにはただ脱帽するばかりです。前半に銭湯のボイラー室で働くススワタリが登場したときはその愛らしさに客席の子供はもう釘付けというところです。様々な神さまの姿もみなどことなく愛嬌があり、脇役に至るまで宮崎作品の登場キャラクターには存在感の希薄ということがありません。これはすごいことです。ちなみにわたしのお気に入りは「釜爺」です(^^ゞ。
背景美術の美しさは相変わらずで、この作りこみの丁寧さ(→手を抜かないこと)は大変なことです。日本の民話や神々の世界に西洋的要素を加えた現代の幻想世界を表現する美術の苦労がしのばれますが、それを一級のものに仕上げる技に感嘆します。
誉めるばかりで不満が無いかというとそうでもなく、ハクとの因縁が明かされる部分は物語の重要部分にも関わらず唐突で消化不良の感があります。ハクと魔女の関係やその世界における占める位置などハクは謎の多い不思議な登場人物として描かれておりその背負うものが伝わりにくいので、ハクについての千尋の言動も所々突飛なものに聞こえ戸惑いを覚えました。
とはいえ、そんなこともさほど気にならないほど上映の間夢中になって見た素晴らしい出来ではあります。泣き、笑い、がんばる千尋の元気な姿を見てわたしも元気をもらった夏の一日でした。
ある晴れた日
歩道を歩いていると
向こうから
若い女の人が歩いてきた。
何気なく
ひょいと道を譲ると
彼女は微笑みを浮かべて
「ありがとうございます」と言った。
ぱっとこころのなかが
あかるくなり
驚いたわたしは
返事を返すことも忘れてしまった。
さりげない微笑とあいさつは
なんとすてきなことか。
あの時の彼女は
まさに観世音菩薩のようであった。
わたしも
あの微笑みをたたえよう。
あのことばを口にかけよう。